懐古主義者の邂逅

昭和が遠くなりにけり

令和6年である。

令和元年に小学生だった子は今年6年生である。

確か、令和元年から2年の年末年始あたりからコロナが言い出した。

もし江戸時代なら、あまりにも不吉でまた改元をしているかもしれない。

最近古くさい価値観の事を昭和か、などと例えることが多い。

よくよく考えたら、天皇の代ごとに改元が行われるから、令和から見たら昭和はお祖父さん世代だ。

また昭和からみたらお祖父さん世代は明治であるが、これまあずいぶんと前の感じがするが昭和の時分では、古臭い事を戦前か、みたいな事を言っていたような気がする。それほど昭和が激動の時代だったのだろう。

さて、この昭和か、という例えについて、平成を人生の半分以上過ごしている世代からすると、何かモヤモヤとする。失われた時代と言われているから、平成を飛ばしているのかもしれないが、平成に徐々に変えていったから、昭和と比べると一目瞭然の差が出でくるのではないか。

この令和の時代、コンプライアンスや多様性などに縛られてしんどい人も多いであろう。だが、それでも良くなっているとは思う。

私自身は平々凡々な人生で、いわゆるマジョリティ側の人間だと思うのだが、私の性格や価値観、趣味嗜好諸々細分化していけば、マイノリティな部分もある。

やはり昭和終わりから平成の終盤まで、そのマイノリティな部分を隠そう、無理しようとやってきた。

だが、平成の終盤あたりからか、隠してた事、無理していた事が、個性や徒労に過ぎない事になったり、社会の考え方が変わってきた。

逆に今の時代が苦しくなった人は、今まで無意識に既得権益のようなものがあったと思って欲しい。そして、今までマイノリティが苦労した事を少し負担すると考え直した方がいいかと思う。

まだまだ不完全な社会ではあるが、少しずつ良くなっている。

失われた30年と言われて、この先も失われ続けるのかもしれないが、確実に産み続けているものもある事だけは忘れないで欲しい。