幸福のはちみつ

幸せとは何か

何やら哲学ぶった出だしになるが、今日あった出来事。

外出で徒歩で歩いている道中の信号待ち。

私の横に老夫婦が並んで待っていた。

女性の方が信号機の下の押しボタンにミツバチがとまっているのを発見した。

何やら2人で盛り上がっている。

冬のミツバチの生命力に感嘆している。

この何気ない会話。

すごく心に刺さった。

幸せとはこれではないか。

感動を共感できる相手がいる。

これに尽きないのではないか。

将来〇〇になって、沢山の人を幸せにしたいと、夢を語り、技術を身につけるのもいいと思う。いや何か技術がなくても、小さな善行を行う事で回り回って人を幸せにできるかもしれない。

だが、人に寄り添い共感する。これだけでも人を幸せにできないだろうか。当たり前のようで尊い事だと改めて認識できた。

幸せの最小単位、それはミツバチが収穫した蜜のように、小さくても濃いものだと思う。

 

 

懐古主義者の邂逅

昭和が遠くなりにけり

令和6年である。

令和元年に小学生だった子は今年6年生である。

確か、令和元年から2年の年末年始あたりからコロナが言い出した。

もし江戸時代なら、あまりにも不吉でまた改元をしているかもしれない。

最近古くさい価値観の事を昭和か、などと例えることが多い。

よくよく考えたら、天皇の代ごとに改元が行われるから、令和から見たら昭和はお祖父さん世代だ。

また昭和からみたらお祖父さん世代は明治であるが、これまあずいぶんと前の感じがするが昭和の時分では、古臭い事を戦前か、みたいな事を言っていたような気がする。それほど昭和が激動の時代だったのだろう。

さて、この昭和か、という例えについて、平成を人生の半分以上過ごしている世代からすると、何かモヤモヤとする。失われた時代と言われているから、平成を飛ばしているのかもしれないが、平成に徐々に変えていったから、昭和と比べると一目瞭然の差が出でくるのではないか。

この令和の時代、コンプライアンスや多様性などに縛られてしんどい人も多いであろう。だが、それでも良くなっているとは思う。

私自身は平々凡々な人生で、いわゆるマジョリティ側の人間だと思うのだが、私の性格や価値観、趣味嗜好諸々細分化していけば、マイノリティな部分もある。

やはり昭和終わりから平成の終盤まで、そのマイノリティな部分を隠そう、無理しようとやってきた。

だが、平成の終盤あたりからか、隠してた事、無理していた事が、個性や徒労に過ぎない事になったり、社会の考え方が変わってきた。

逆に今の時代が苦しくなった人は、今まで無意識に既得権益のようなものがあったと思って欲しい。そして、今までマイノリティが苦労した事を少し負担すると考え直した方がいいかと思う。

まだまだ不完全な社会ではあるが、少しずつ良くなっている。

失われた30年と言われて、この先も失われ続けるのかもしれないが、確実に産み続けているものもある事だけは忘れないで欲しい。

集中できる方法を集め中

20年前アナログレコードにハマっていた。

その時点でCDが主流で、配信も始まる時期だったかと思う。

針を落として、流れる音楽に夢中になっていた。

特に昔のレコードなら、遠くに雨が降っているかのような不鮮明な音にどハマりしていた。

あのLP版の30センチ四方のジャケットにも魅力を感じた。

何かで聞いた話だが、ミックジャガーとキースリチャードの出会いは、LP版を持っていたキースにミックが話しかけたとかだそうだ。

もし、これがCDならカバンに収まってわからなかっただろう。

いまや、音楽を持ち歩くなど造作もない事である。映像も然り、エンターテイメントは物体のないものになった。

サブスクがあるのは知っている。

課金がするのが嫌なら、無料のサービスがあるのも知っている。

だが、最近音楽を聞かなくなった。

もちろんデータ通信も気になるところではあるが、Wi-Fi環境が整っている家でも聞かない。

歳をとったから最近の音楽についていけないのもあるが、昔の知っている音楽を流せばいい。

レコードもしかりCDもそうであるが、ケースから取り出して、再生機にかける一連の流れが、音楽を聴くという、単純な作業に何か意味をなしていたのか。

これが配信ならもっと簡単で単純な画像にタッチですむはずなのだが、前述の再生機にかける面倒の作業のおかげで、集中して音楽と向き合えるのではないか。

集中しやすいといえば、仕事にも応用できないか。

仕事始めどうしているか、朝スマホなどでタスクやTO DOリストが自動的に出ているから、惰性的に仕事に取り掛かっている。

これを、レコードやCDに置き換えると、一つのタスクやTO DOリスト毎にメモや付箋を貼って、一つずつこなす事になる。

まあ結局な話、マルチタスクを求められる場合は理想論に過ぎないが、集中できる環境を作るには参考できるのではないかと思う。

 

続くを綴る

ショーマストゴーオンという言葉がある。

どんな事があったも舞台を辞めずに続けなさいという事だ。

人間の命は絶対であり、尊いものである。

だが、人の命は地球より重いなどという言葉は詭弁だと思う。

残念ながら、誰が亡くなっても世の中は動いていく。舞台も続いていく。

ミニシアターに行った。

現時点では全国でも10ぐらいの映画館しか上映されてない。更に1日1本しか上映されていない。

だが、観客は10人程度。そんな世間では見向きもされない映画だ。

タイトルを言いたいところだが、読者には想像を膨らませて読んでほしい。

ある男のドキュメントである。

私が彼を知ったのが2018年である。

2019年彼が難病に患っている事を告白する。

そして2020年彼は亡くなる。

ちょうど私が知るあたりから、ドキュメントは始まっている。

とある地方町に住む、50を過ぎた中年男。

ドキュメントを見る限り、地方都市で細々と暮らしている一般人。

色々とあって、奥さんからは逃げられるは、あまり誇らしい人生ではなさそうだ。

彼はある趣味で地元の仲間を集めていた。

それが地元にも根付き、やがて全国ニュースになった。

ようやく陽の目にあたるようになった矢先、先述の難病が見つかる。

嬉しい事と最悪な事が同時にきたのだ。

だが、その趣味を通じて、逃げた奥さんとよりを戻し、最後は家族と一緒に闘病生活をおくり最期を迎える事が出来たのだ。

と流れとしてはそこまでの話であるが、もう一つの魅力が彼の仲間たちだ。

10人以上いる仲間のインタビューで生前の彼を語る。

みんな彼からの誘いで仲間になった。

彼らはちょっと病んでる人だったり、あまり産業のない地元にくすぶっていたり、上京したけど上手くいかず地元に戻ったりと、何か日常に鬱屈とした者達が集まっていた。

みんな、亡くなった彼には感謝していた。そして、全国区までのし上がった団体をもう一度まとめ上げ、また地元でコツコツと活動している。舞台は続いているである。

場違いなネコ型ロボット

妄想力で人類は進化してきた。

ダビンチやエジソンの発想、発明は元をただせば妄想から生み出した。

あんな事いいな。出来たらいいな。と、遙か大昔からドラえもんの歌はあったのだ。

できる出来ないは別として、妄想力は大事である。

思えば自我が芽生えた頃だろうか、妄想をよくしてきた。

学生の頃。

部屋で1人いた時だった。

朝なのか昼なのか夜なのか。

それすらも覚えていない。

そんな何にもないただの日常で。

確かなことは、何もせずボッーとしていたのは確か。

ホントに何気なくだが、人に見られている気配がした。

部屋は1人しかいない。

部屋のドアは完全に閉め切っている。

当然窓からも誰も見ていない。

何だろう。この人に見られている気配は。

あまりの不気味さに、色々と考察を重ねた。

当時、アステカの遺跡などで発掘された、発掘されたものの時代の技術では到底出来ない装飾品など、いわゆるオーパーツ(場違いな加工品)が流行っていたのもあった。

何かしら、未来からの技術の継承などが、なければならないと作ることができない物。

そこから一つの結論に達した。

視線の先は多分未来の自分だろう。

多分未来の自分が、ボッーとしている自分に喝をいれにきたのだろう。

なので独り言で、大丈夫だよって呟いてみた。

その後視線は感じなくなった。

っと、これでめでたしめでたしと終わらないのが現実で。

過去の自分よ。

そんなに未来は楽観的ではないぞ。

何が大丈夫だよだ。

未来は思った以上にしんどいぞ。

と未来のドラえもんは呟いている。

涙が落ちるのは万有引力のせいではない

記憶にございません。

なんて便利な言葉であろうか。

今まで何度聞いたことか、もしくは弁明に使った事か。

また、本当に瞬間的には記憶になくとも、手繰り寄せて思い出す事もあるので、思い出したなどと、後から釈明する事も可能である。

ニュートンはリンゴが落下するのをみて万有引力の着想を得た。

本人に聞いたわけではないが、今まで何度も落下するものを見ていたと思うが、万有引力に結びついたりんごの落下ほど、一番印象的に記憶に残っているだろう。

一般的に強烈なものは記憶に残り、どうでもいいようなことが、忘れてしまうものである。

だが、些細な日常でも鮮明と覚えている場合がある。

15年前になる。

時期は少し冷えてきた秋の夕方。空が赤かった。

仕事で、車を運転していた。当時勤めていた会社の近くの中学校。

信号待ちか、車の停車中。

下校中の中学生に目がついた。

1人で下を向いて歩いている。

ダボダボの制服。おそらく入学前に身長が伸びると考えて一回り大きな制服を買ったのだろう。

数秒後、腕で目を押し出した。

泣いている。

それも青春と言いたいところだが、秋の夕方も重なり赤秋という言葉が似合う。

なぜかこの場面をたまに思い出す。

坊主、この敗北をバネに立ち上がるんだぞって、人生の先輩ぶって悦に浸ってたのかもしれない。

大人になるともっと辛いことがあるんだぞって自分に言い聞かせていたのかもしれない。

正確な年も、その日仕事で何をした。その後車でどこに行ったなど全然覚えていないが、その場面は鮮明に覚えていて、色々想像を膨らませていたのは確かである。

体格も細く、背も低く、気弱そうでいじめられっ子っぽい雰囲気を醸し出していたのからか。

自分も学生時代、悔しい事があった下校道をフラッシュバックしたのか。

あの中学生は今ごろどうしているのだろうか。

なんだかんだ言っても今の自分も敗北だらけの赤秋真っ只中にいます。

そして誰もいなくなった

日本人はどこに行った?

この国の先を憂う憂国の士ではないが、どこに行ったんだろう。

繁華街や観光地に出かけると確かに人はいる。

但し、言葉が中国語・韓国語など日本にいて、日本人を見かけることが少ない。

コンビニや全国チェーンでは外国人労働者が当たり前になってきた。

20年前ほど、大阪のとある外国人が多く集まる地区に住んでた時に近くのコンビニでは既に外国人の店員さんも見かけたが、今では山奥のコンビニでも見かける。

少なくとも20~30年前はでは地方の繁華街でも人はごった返していた。

人口が減っているからも理由だろうが、多少減っても30年前も今も約1億2000万人とおおよその数字は変わっていない。

いったいどこに消えたのだろうか。

私自身の実感であるが、1億総引きこもりである。

昔はわざわざ電車を乗り継いで都会に出て、買い物に出かけたが、今はAmazonでも楽天でも何でもある。

生活必需品を買うための町のスーパーには確かに人はいる。

だが、昔は19:00閉店が普通だったが22:00まで営業しているスーパが多い。

昔より人が少なく感じるのは分散されているからなのか。

統計的には高齢者の比率が昔より高くなっている。

介護サービスの充実によりデイサービスなども増えていっている。

だが、施設に閉じこもっているのか、あまりサービスを利用していないものからは見えにくい。

都会では電車から車窓を覗いていると、駅から駅までずっと家が途切れなくつづいている。毎日眺めていると、新しい建売分譲住宅に住宅地があり、一般の住宅と建売の分譲地の境界線はわかるものの、狭い路地が多い昔からの住宅地に溶け込んでいるような感じすらある。せっかく新しく住宅を買ったのに、この環境はどうなのかと思わずおせっかいを考えてしまう。

またよく車で通る最寄りの駅から歩いて1時間以上・バスも1時間1本しかないようなところにも100軒ほど入居できる分譲マンションがあった。こんな不便な場所でとまたおせっかいを考えてしまう。

そのすべてに人が住んでいると思うと人はいると思うのだが、引きこもっているのかはたまた。