涙が落ちるのは万有引力のせいではない

記憶にございません。

なんて便利な言葉であろうか。

今まで何度聞いたことか、もしくは弁明に使った事か。

また、本当に瞬間的には記憶になくとも、手繰り寄せて思い出す事もあるので、思い出したなどと、後から釈明する事も可能である。

ニュートンはリンゴが落下するのをみて万有引力の着想を得た。

本人に聞いたわけではないが、今まで何度も落下するものを見ていたと思うが、万有引力に結びついたりんごの落下ほど、一番印象的に記憶に残っているだろう。

一般的に強烈なものは記憶に残り、どうでもいいようなことが、忘れてしまうものである。

だが、些細な日常でも鮮明と覚えている場合がある。

15年前になる。

時期は少し冷えてきた秋の夕方。空が赤かった。

仕事で、車を運転していた。当時勤めていた会社の近くの中学校。

信号待ちか、車の停車中。

下校中の中学生に目がついた。

1人で下を向いて歩いている。

ダボダボの制服。おそらく入学前に身長が伸びると考えて一回り大きな制服を買ったのだろう。

数秒後、腕で目を押し出した。

泣いている。

それも青春と言いたいところだが、秋の夕方も重なり赤秋という言葉が似合う。

なぜかこの場面をたまに思い出す。

坊主、この敗北をバネに立ち上がるんだぞって、人生の先輩ぶって悦に浸ってたのかもしれない。

大人になるともっと辛いことがあるんだぞって自分に言い聞かせていたのかもしれない。

正確な年も、その日仕事で何をした。その後車でどこに行ったなど全然覚えていないが、その場面は鮮明に覚えていて、色々想像を膨らませていたのは確かである。

体格も細く、背も低く、気弱そうでいじめられっ子っぽい雰囲気を醸し出していたのからか。

自分も学生時代、悔しい事があった下校道をフラッシュバックしたのか。

あの中学生は今ごろどうしているのだろうか。

なんだかんだ言っても今の自分も敗北だらけの赤秋真っ只中にいます。