未来の煮ない手

煮物が好きだ。

正確には煮物を作るのが好きだ。

料理の肝は準備だと思う。

例えば野菜炒めを作るとする。

先に野菜や肉を切って、フライパンを温めて、炒める。

とここまではいいのだが。

炒めている途中、塩コショウ…あれいつもの置き場所、とか

そういえば冷蔵庫に卵残っていたな、一緒に炒めようかな、間に合うかな…

など準備不足が露呈すると、焼料理は仕上がりに影響が出てくる。

揚げ料理・蒸し料理も似たようなものだろう。

つまり、一度火を入れたら、手際の勝負である。

その点、煮物はどうだろうか。

ゆっくりとゆっくりと時間をかけて丁寧に仕上げる。

どっかにいった調味料も探す時間はある。

冷蔵庫に残っていた、あれ一緒に入れようと追加も可能。

また作り置きもOK。3日くらい何度も温めなおしても味も落ちないのである。

まさに、料理界のスローライフ&再チャレンジである。

どうだろうか、やや強引であるがトレンドとかけてみた。

そう今後の社会を生き抜くヒントが煮物にあるのではないか。

ゆっくり、こつこつと技術を磨いた人間が、試行錯誤して、独特の味を出していくと。

いや違う。

論理の破綻であるが、技術習得は効率よく最短に、味も分量・時間と法則にのって再現可能の味を提供するのが、現実であり、そういった効率化によって、時間が生まれスローライフの社会が実現する。

また短期間での技術取得が難しい場合、早めにあきらめをつけて、他のことにチャレンジした方が良い。それこそ再チャレンジである。

いや待てよ。

見方によっては、こつこつとゆっくりでもキャリアを磨き上げて、試行錯誤してオンリーワンな人材に成長する。

例え通りではないか。

まあ最初の例えが悪かったのか、見方によっては当てはまった、当てはまらなかったり、煮物の例えはよくないかもしれない。

最後に一つだけ、煮物もある程度は途中からの試行錯誤は可能であるが、調味料を基準の100倍以上いれたや、煮込みすぎて溶けてしまったなどやりすぎると、再チャレンジ不可能である。その辺も社会の例えに適用できるだろう。

追伸 記事作成に煮込みすぎています。こちらもコツコツ試行錯誤して頑張ります。